●太気拳との出会い(その3)

 
 

平成16年9月、この頃から立禅の形のみではなく、その時の内観について考えるようになる。
きっかけは、毎月のセミナーの冒頭で先生がセミナー参加者に言う立禅の基本的な立ち方というものである。

基本的なことであるが、まず頭にヒモが付いていてそれを引っ張りながら座るイメージを持つ。
立というよりも、しゃがむ力で立っている感じである。

足の指で地面を掴み、頭上からのヒモを引っ張るイメージを持つ。それはあたかも1m位の細長い棒を手のひらに乗せて、バランスを取っているようなイメージである。その細長い1m位の棒というのは自分の背骨(骨格)であるとイメージする。バランス良く立っているといくことは、体に無駄な力が入っていないということである。体が少しでも傾いているとそこに力の一部が使用されることになり、無駄な緊張を生じることになる。上半身は、筋肉の力ではなく正しい形の骨に筋肉がついてい るようなイメージを持つ。上半身は緩めることが必要である。

手の形は、もろく崩れやすい紙風船を抱いているようなイメージを持つ。その風船は力を入れれば壊れるし、力を抜けば手から落ちてしまうものであり、フワットした感じで持つことが大切である。

そのような感覚がつかめたら、立禅状態において、水の中にいるイメージを持ち、水に漂う感覚を持つ。半禅では、太い動かない木に自分が張り付いているイメージを持ち、動かない木を抜いたり植えたりするイメージを持つ。動かないものを動かすというイメージを持つことにより、弛緩状態から極限の緊張を生み出す。それを繰り返し実施する。慣れてくれば、その時間をどんどん短くして、瞬時に緊張、瞬時に弛緩を繰り返す。それは、電気の交流回路のように1秒間に何回も繰り返すイメージを持つようにする。イメージは光よりも速い。その速さで緊張と弛緩を繰り返し、ついには自分でも弛緩か緊張か分からない状態にまで高速に意識の転換を図る。このようにして、筋肉を鍛えるのではなく神経を鍛えることにより、尋常じゃないスピードと力を養うのが立禅であると考える。  

もっとも大切なことは、正しい形でこの神経を鍛えないと効果が現れないということである。

この神経を鍛え情報伝達スピードを上げることは、中年の40台を過ぎても鍛える事が可能である。打拳といっても所詮、脳が司令して手足を動かすものである。手足を突いて訓練してもその手足を動かすスピードというのは劇的に変わるものではない。ここで考え方を変えて、神経を鍛え伝達神経を太くする訓練をすれば、劇的なスピードアップが望めるものである。そのためには、イメージによって神経を鍛えることが必要となってくる。

また、立禅では、腰の力1つで動く訓練をする。立禅で腰を落とした姿勢をとることによって、上半身と下半身をくっつけるのである。人間は器用にできていて、上半身と下半身が別々な動きをできるのである。それは、普段の生活では手足、指先がバラバラに動いた方が器用な動きができる。しかし、武術の時には、もっと大きな力を必要とするため、腰の力1つを駆動動力とする方が大きい力を出せるのである。逆立歩行を考えた場合、訓練しても10歩、逆立の達人でも100歩が限界であろう。腕の力とは所詮その程度である。一方足の力は、1日で40km程度は歩ける。ウエイトトレーニングの場合、腕のカールをする場合一般人で20〜30kgであるが、足の力だけでウエイトを上げる場合200kgは軽く出るであろう。このように足の力は、腕の力より1桁違う。この足のちからすなわち、足の力の元になっている腰の力で動くようにするのである。ここで鎖を例に考えた場合、力の弱い鎖と力の 強い鎖とを混ぜで使用した場合、弱い箇所で切れるのは明白である。この場合、弱い力がネックとなって強い力を引き出せない状態になっている。動力を1つにすることによって、まるで熊に叩かれたような感覚を相手に伝えることができるようになるのである。

平成16年11月、毎月のセミナー等により、常人より若干早く動けるようになってくる。特に落下スピードが重力で落下するより、若干速いスピードでダッキングできるようになる。このことは、相手にとって非常な驚きとなる。 

常識では重力よりも早く落下しないため。(普通のボクサーでもダッキングの際、重力の落下程度の速度でしかできない。) 常人より速く動けるようになったのは、立禅の神経を鍛える稽古により速くなったものと考える。また、上下の落下スピードが重力より速くなったのは、今を思えば自分の丹田に足を引きつけるようなイメージを持つことによって、ただ、落ちるのではなく自分が縮まるスピードで落下するために速く落下できているのではないかと考えている。ボールを単に落とすのではなく、ボールにゴムヒモがついているとイメージする。そのゴムひもの一端は地面についているとする。ボールを地面から上にもってきて引っ張られている状態を作り、ボールを放す。ボールは明らかに自由落下よりも速く落下する。そのような状態を意念で作り出すのである。

平成16年12月、この頃から、ボクシング及び空手では、左前の半身でしか移動できなかったものが、左右の足で、右構え、左構え関係なく攻撃できるようになってきた。組手において、自由になれてきたなあと感じた。

自由に動けるようになれたのは、「這い」及び「練り」の訓練の成果であろう。「這い」で力のきれないような動きを練習、「練り」で腕の力ではなく、腰の力で動く練習をすることにより自由に動けるようになってきたものと考える。

平成17年1月、今年の大気の目標は、発力をマスターしたいと考えた。同期入門のM氏とよく、先生の発力の秘密について考えを交換していた。また、先生にもことある毎に質問していたように思う。

発力で人間どうしてあんなに飛ぶのか?立禅状態で相手を押しても、自分が後ろにのけぞってしまう状態であった。先生の著書「太気の扉」を読んだりしてことあるごとに考えてみた。また、先生の「 太気挑戦講座」の中で、先生がある生徒を押した際、壁に弾かれたように飛んでいたのを見て度肝を抜かれた。M氏は、「人間の体は60%以上液体だから、体の液体を手に集めるようにするんじゃないのかなあ?」等の突拍子もないことを考えていたみたいであり、私も当時、半禅からの力の出し方は、後ろ足を蹴ることによってそれなりに出ていたが(今はそのような力の出し方をしていない。どちらかというと前足を引っ張り込む力で発力しているように思う。)立禅状態からの発力は、同期入門のM氏の方がうまく、M氏は、武道を離れて20年以上たつが、勘所がいいと思った。

先生からは、「ホースに石ころを入れて、ビュと振り、ある位置で止めたら石が飛ぶだろう。急激に動きを止めることによって弾かれるような力が出るんだ。」と言われていた。

先生から発力を受けた感覚は、電車に乗っていて、急激にガクンとある方向に電車が傾いた際、そのある方向に体が放り出されたような感覚に似ている。これはどういうことを意味しているかというと、ある方に慣性力が働いていたとして、その慣性力を急激に止めた際に生起する現象である。このような状態を相手の体に作用させることができれば、先生のような発力ができるようになるのではないかと推論を立てた。

発力を立禅状態で行う場合、禅の諸条件、特に上下の力という天から釣られた感覚を維持して相手を押すというよりも、踵からつま先に体重が移動し、つま先にその体重が移動した刹那、急激に移動を止めることにより生起する力を相手にぶつけるのである。そのことによって、先の電車に乗っていて放り出されたような感覚と同じような感覚を相手に伝えることができるのであると悟った。

平成17年3月、この頃から発力もどきができるようになってきた。

平成17年4月、このお花見組み手の頃から、組手において息が上がりにくくなってきた。それまでは、組手を1人と3分やってもゼロゼロ状態で息が上がっていたが、徐々に息が上がらなくなってきた。これは、緊張しないで組手をするようになったということと、無駄に速く動かなくなったことに起因すると考えている。また、ただの殴り合いではなく、防御において、推手状態を作り、そこから攻撃をするというふうに、推手を組手に生かすようになってきた。

平成17年5月、この頃から推手の中で発力ができるようになってくる。5月のセミナーのテーマは「発力」であり、本セミナーに参加して、他人にも発力の原理を教えることができる自信が付く。また、この頃から通常の練習の推手において、先生が発力をしても木の葉のように飛ばされなくなってき。これは、自分の体の中にあるジャイロが安定してきているからかと感じた。

ジャイロの安定というのは、体の中にバランスを感知するセンサーがあるものと仮定する。そのセンサーを仮にジャイロと名づける。普通の人間は、通常の生活をする上で必要なだけのジャイロの安定度しかいらない。しかし、武術では普通の生活以上の安定度が求められる。例えば、相手から発力をもらった場合に、ヘロヘロその場に崩れてしまうのは、体のジャイロを鍛えていない人である。 太気の立禅で体のジャイロの安定を図り(ジャイロを制定させる。)ことにより、相手から発力を受けても、後方に行くか若しくは、地面に力を逃がすことによりその場に留まることができるようになってくる。 太気の動きは正にこのジャイロの安定があって成り立つものである。ジャイロの安定なくして、動いてもそれでは根源力を発揮できないであろう。

これを 戦艦に例えると次のように考えられる。戦艦の武器は全てジャイロと結びついている。自艦のジャイロ信号に基づき、砲やミサイルの発砲諸元を計算し、相手艦船に対し、砲やミサイルを発射する。また、自艦の動揺もスタビライザーというジャイロによって安定させているのである。このジャイロの精度が艦より高ければそれだけ、正確な攻撃をできるし、また、荒天においても左右の動揺を減少させることができるのである。 太気の立禅で人間の体の中にあるジャイロの精度を高め、その安定を保って移動できるようにならば、飛ばされなくなるものと考える。面白いことに旧式のアンシュルツ・ジャイロ(軍用ジャイロの初期のもの)では、ジャイロを起動してから急速で30分、通常45分程度でジャイロが制定した。(現在は、リングレーザージャイロでそこまで安定に時間がかからなくなってきている。)これを要するに体の中のジャイロもある程度長時間(30分程度)立って安定を図らなければ、 太気本来の力が発揮できないのではないか?との仮定が考えられる。

平成17年8月、夏合宿、このあたりから立禅と気持ちの問題について考えるようになる。立禅というのは、全ての方向に動いている結果、止まって見る。その立禅の時の意識は、無意識ではなく、色んなことを考え結果として、そこに意識がとどまっているのだ。といったことを考えるようになってきた。

平成17年12月頃、この頃から止まらないで、動きながら強力な打撃ができるようになってきた。

平成18年1月(41歳)を迎え、今年の大気の目標は、先生のように早く動けることとした。昨年以来、常人よりは早く動けるようになってきたが、先生のように相手の視界から消える動きには至っていない。

平成18年1月中旬、先生から組手の3箇条「@手は顔の前A腰は低く。B歩幅を狭く。」を徹底して練習するように指導される。A、Bは入会当時から言われていたが、@はこの頃になってよく言われるようになってきた。

平成18年1月下旬、この頃から、他流のチョットした大会に出るようになる。

これまで約2年半、太気拳を練習してきて、自分がどこまでやれるのか試してみたくなった。 他流の中国拳法の大会や日拳の試合に出てみた。 太気の組手と他との違いは、動きながら打撃ができる点であろうと思う。大氣の組手の前では必ず立禅をする。立禅をすることによって体の中のジャイロが安定する。このジャイロの安定は30分程度かかるであろう。このジャイロが安定した段階で初めて動きながらの打撃が可能となる。よく、我々の交流会の前に「立禅で体を整えろ。」と先生に言われるが、正にこの安定度高めるために立禅をすると思う。

一般の人は、足を止めて重心を安定させてからしかでしか打撃を打つことができない。一方、太気では、ジャイロを安定させることによって、通常の人が止まっているレベルまで 、安定を動きながらの状態で引き出すことが可能である。このことにより、動きながらの打撃が可能となってくると思う。

他流との組手を前にして、先生からよく、「入力を切替えろ。」と言われた。入力を切り替えるとは、相手を見るようで見ないようなところで組手をするものである。立禅の時の精神状態で相手を見るとのことであり、目は開いているが、そのもの対して、固執してじっと凝視するのではなく、ぼやっと見る。見ているようで見ていない。耳は遠くの音を聞こえるようにする。この入力を替えるということは、どの武術も言ってこなかったことであり、これからも立禅を通して養って行く必要があると感じている。

平成18年4月、先生の動きまでとはいかないが、足を止めての左右の変化は、相手に私の残像が見える程度まで早くなった。これは、立禅における左右の意念の練習で速くなれたように感じる。意念で極限まで左右の転換を速くし、最終的には右も左もなくなるようにもっていく練習をしている。ボクサーの動きでも相手に残像が見える動きではない。

平成18年4月中旬、対人間の戦いというよりも、徐々に人間でない動きについて意識するようになる。そのような動きであれば、相手が対応できないのではないかと考えるようになる。

平成18年5月、空気中において、ある程度の抵抗感を持って動けるようになる。意識で抵抗を作り出し、抵抗のある中で動くイメージが徐々にできてきた。這いの上げた手がかなり重くなる。(ただし、まだ指先だけで、体全体に抵抗を感じていない。)

今年の目標を概ね達成したため、先生が2年ほど前に言っていた、「腹の中の玉」を意識するようになる。「腹の中の玉」とはいったい何で、どのような効果があるのか考えるようになる。

平成18年6月、「腹の中の玉」作りため、丹田に意識の中心を持ってきて、そこで動く練習を始める。丹田から出た手が、丹田に収まる意念を持つようにする。

私の太気拳の修行は、まだまだ続くが、今までの3年間の稽古を通じて、ボクシング4年、空手11年間では得ることのできなかった力とスピードが身に付いてきた。

今までの自分の戦い方は、本当にギクシャクしていて自由度がなかったように思う。太気を練習するようになって、歩法も右構え、左構えのように決まったものではなく、左右の足が自由に使えるようになってきた。自由に動けてしかも力出ているという感じである。

最初立禅をして、こんな練習で強くなれるか?と半信半疑であったが、先生の動きやスピードを見て「信じる者は救われる。」という気持ちでやってきた。これからも、自分の体に眠る新たな力を発見していくことと思う。

自分で3年間を振り返り、形から入り、今は内観の状態に変化していることを再認識した。

立禅の大切さに気づく前は、ただ形を追っているだけであり、立禅の重要性について気がついてから加速度的に上達しているのが分かった。

太気における最終的な私の目標は、ズバリ達人になることである。達人というのは、即ち先生のような動きと力を身につけることであり、組手で強くなるのは、達人を目指していればついてくるものと考えている。組手で目先の勝負よりも、毎年の自分のテーマと先生が我々に与えてくれるテーマを追い求めていくことによって、自分が達人になり、ひいては見る人が感動するような組手ができるようになるものと考えている。

太気拳は、年齢に関係なく、神経を鍛える武術であるので、中年を超えても十分上達が可能であると思う。若い時の強さは、速さと力の程度であったが、体を「まとめ」、「安定」することが中年を超えてからの強さであると感じています。




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