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あっという間に年末。今年は何となく落ち着かない一年と言う感じだった。落ち着かない、と言うのは今年中に 片付けようと思ったものが予定通りに行かなかったというのが理由。幾つかあるが、雑誌に連載していた「組み手 再入門」の書籍化が来春に持ち越しになってしまった事。後から製作したビデオの一巻目が年内に発売されたにも かかわらず、原稿の出来ていた書籍化が遅れた。責任はもちろん私にある。校正や書き直しの部分を先延ばしにし たからに他ならない。
さて、それに対して片付けられた事の幾つか。「組み手再入門」の映像化。組み手に関して色々書いて、それが 空念仏じゃしょうがないから、と言うところ。組み手の実際を見てもらってイメージを作る事が出来ればと思って の映像化。連載あるいは書籍と突きあわせて貰えれば、文章より伝わるだろうと考えての事だが、果たしてどうか。 今年の夏合宿での弟子を相手にした組み手やスタジオでの組み手を7〜8回、それらを例にとってポイントの指摘及び整理。 正直に言うと、他の武術やスポーツ格闘技の組み手の映像と横並びで比べてみるとその違いがハッキリする。が、 まさかそれを自分のビデオでするわけにもいかず、ちょっと残念。太気拳と言うか、あるいは私の組み手がと言うべきか、 普通の人にとってはとても異質な感じだろうな、と言うのが感想。まあ、判る人が判ればいいでしょう。
それともう一つ出来たのがE−BOOK「中年から始める本物の中国武術」、とりあえず第一部の「立禅」を完成。 太気拳の入門書的な作り、これもテキストとDVDのセット。テキストが原稿用紙70枚余りと一時間の映像。立禅につ いては正直言ってこれでも不十分だが、キリがないのでそこそこに収めた。文章だけだと歯がゆいし、映像だけだと言い 忘れや抜け落ちるところがあるので、両方で相互補完と言う感じ。「中年の〜」と銘打ったのは別に中年じゃないといけ ない、と言うわけではない。私がもう中年だから、エールを送る意味でつけた題名。また、今回立禅だけの章にしたのは、 太気拳だけでなく、ほかの武術や健康のためにと言う問い合わせがよく来るため。色々な所で立禅に似た稽古法を指導し ている所もあるようだが、そう言うところの経験者から漏れ聞くと、結構いい加減だったりする。別に私だけが正しいと 思っているわけではないが、書くべき事は書いておこうと言うところ。この後、半禅や這い、そして練りや他の稽古も書き、 同時に映像化のつもりだが、何時になるかはまだ不明。なんと言っても「立禅」の章でほぼ一年掛かり。ライフワークなんて 気取るつもりはないが、どうなるか・・・。
さて、最大の落ち着かない理由は十分に遊べなかった事。遊べないといっても遊んではいる。要は思うように遊べな かったという事。今年は年明けから波がなくて、十分にサーフィンが出来なかった。それに加えて夏の台風直撃で地形が 変り、波の質が落ちた。じゃあ、と言うんで今度は釣りを始めたが、もちろん思うように釣れない。今日は休みで、実は 釣りに行ったがバラシ。知り合いが80センチの平目を釣ったとか、誰それが70センチのスズキを釣ったとか言うがこちら には来ない。このふた月の釣果は、40センチのイナダ一匹・15センチのスズキの子供・同サイズのメッキ鯵。まあ、魚に してみれば私に釣られるなんて言うのは、交通事故にあうようなもの。めったにあることではない。で、モチベーション が落ちて、もういいかなんて思ってると、眼の前で他の人が大物を釣ったりする。じゃあ、この竿にも掛かっていいん じゃないの、何で掛かってくれないの、と生殺しの蛇のようで日々落ち着かない。
「遊びをせんとや生まれけん」じゃあないが、せいぜい正月は落ち着いて遊びたいもの。そのためには祝いの膳に 自分の釣った魚を、なんて初夢でも見ることが出来ればよしとするか・・・。
2007-12-29
雑誌の連載が終了。「組み手再入門」の題で一年余り書いてきた。書く事はいくらでもあるような気がするが、書いているうち にもどかしくなってしょうがなかった。考えてみれば当たり前で、組み手に関していくら書いても隔靴掻痒、言いたい事、伝えたい 事の距離感をべらぼうに感じた。それがストレスで多少嫌気が差した、というのが正直なところ。それで、そのストレスを今度は 映像化すれば少しは晴れるか、ということで同じ題名「組み手再入門」で映像を先日撮り終えた。なんと言っても百聞は一見にし かず、だ。本当を言うと、題名は「組み手改造計画」とでもしたかったが、連載とリンクした内容だからという事で同じに決まった。 キーボードに向かって組み手について書いているよりどれほど判りやすいか、と思っていたがこれもなかなか難しい。カメラに向かっ て話しているうちに、肝心な事を言いわすれたと気がついたりする。それが撮影中だったら撮り直しもきくが、終わってから思い出 すなんていう事もある。まあ、連載はそのうち書籍化するから映像と書籍と両方を参考にしてもらえれば、少しは組み手に行き詰っ て悩んでいる人の助けになると思う。
空手にしても他の武術にしても形にばかり拘って、組み手に工夫が無さすぎるって言うのが連載を始めた主旨。みんな拘っている のがどうでもいい事に僕には見えてしょうがない。どこも最初に決まった形の構えがあって、そこから全部始まるなんていう不思議 な事をやっている。そんな常識なんて役に立ちはしませんよ、という所を見取ってもらえればいい。どんな流派だって良いが、当た り前に組み手をやれば太気の組み手に似てくるというのが持論。当てっこだとか、ゲームで良いって割り切るなら既存のままでいい けどね。
今回の映像には、今年の夏合宿の組み手を幾つか参考として載せる予定。合宿のときはそんな気はなかったので、のんびりとした 指導組み手だが、それなりには役に立ちそう。組み手の技術というだけではなく、雰囲気から組み手に対する取り組み方を感じ取って もらえれば良い。組み手が殺伐としたものではなく、自分の課題に取り組むためのものだという捉え方が出来ればいいと思う。もし 機会があったら太気以外の組み手と比べてみると、違いが一目瞭然で面白いかも知れない。
ただ、映像にするのを選ぶために何回も同じ自分の動きを見るのは正直言って辛い。段々あらが見えてきていやになってくる。 まあ、約束したからしょうがないか、という気分。恥を書くのもなんかの薬になって、そのうち役に立つ事もあるかもしれない。 しかし、映像でも喋ったけれど、25年間毎週組み手をやったというのは、考えてみればよくやったよね、という感じ。好きなんだね、 組み手が。下手の横好きか、それとも好きこそものの上手なれ、なのかは皆さんの判断に任せます。撮ってしまったらもう俎板の上の鯉。
今回のカメラマンは、実は地元のサーフィンの先輩にお願いした。勿論撮影中はそんな話は全然しない。ところが昼食でアシスタント の若者がやはりサーファーと判り、話が盛り上がる。聞くところによると、最近格闘技系の選手がサーフィンを良くやるとのこと。ブラジ ルの選手がやったというところから始まったらしい。勿論バランス感覚は要求されるから、そう言うところがトレーニングになるんでしょ うね、と言う。まあ、それもあるけど、それより判断力だろう、というのが僕の感想。やらない人はわからないと思うけど、一瞬の判断を 常に要求されるのがサーフィン。判断ミスをすると場合によっては大怪我をする。波に乗る瞬間、どっちにいくか、周りに何処に人がいるか、 避けられるかそうでないか、同じ波に自分以外の人が乗っていないか、そのほか色んな事を瞬間に見取って乗る、あるいは乗らないを決定する。 時には乗ってから降りる。それはほとんどの場合、ほんの一瞬でしかない。見て考えるのではなく、見た瞬間に判断する、決定する。 勿論乗ってからも、ボードのコントロールは考えていては遅い。感覚で動かす。そこら辺は組み手と同じで、自分の場合は組み手の感覚が サーフィンに少しは活きたかも知れない、そんな事を話して昼休みが終了。自分は昼食後に3分でも寝ないと午後は眠くなる性質。 それをしなかったおかげで午後の撮影はNGの連続。皆さん、ご迷惑をおかけしました、反省はしてます。
2007-10-08
以前、昔見た映画を見直したくなってきた、と書いたがどうも映画だけでは無さそう。10代や20代に読んだ本を読み返したいと思うことがある。多分読み返すと
最初に読んだときとはまったく違うものが見えてくるんだろう、と言う気がする。
先日、学生時代の友人と何人かで集まって飲む機会があった。もう20年ほど外国に行ったままだった女性が里帰り。で、皆で集まって飲もうということになった。彼女は海外で仕事をしていて外国人のだんなさんと二人の子持ち。昔は小太りだったのが、最近は「小」が取れてきた。友人の多くは髪も薄くなっている。額が広くなったものも入れば、私のように頭頂部に天井の明かりが反射するものもいる。相変わらず髪がふさふさしていると思うと、腹が出てきている。みな昔と同じようで同じではない。
話をしているうちに、日本人の作家で海外で一番読まれているのは誰だろう、と言うことになった。三島由紀夫や川端康成、それに大江健三郎。ここら辺が一番先に名前が挙がる。ところが彼女曰く、なんと言っても村上春樹だという。「ウチなんか。子どもとの会話は村上春樹のおかげで成り立ってる」とまで言う。英訳しか読めない息子・娘、原文を日本語で読む母親、そこら辺が親子の会話になるという。飲み会での会話は脈絡がなく、そんなこんなで、昔読んだ吉本隆明の話になる。氏も、もう歳も歳。失礼ながら訃報の話になった。新聞社に勤める友人が訃報が社会面に載るか一面に載るか、難しいところだ、などと言う。「今頃、吉本なんていったって、若い奴はわかるめ〜」と言うものもいる。「いやいや、それは吉本隆明の訃報ではなく、吉本バナナの父親の訃報という風になるんじゃないの」と勝手に言うものもいる。どうもまったくもって失礼で申し訳ない。時代が変わっている。父親の時代から娘の時代になったということか(その後やはり世代的に影響を受けた小田実の訃報。癌で闘病中とは聞いていたが、遂に・・・。ちなみにうちで取っている新聞では一面の扱い)。
そうこうして帰り際に彼女が、最近は永井荷風が面白い、という。「おお、それそれ」思わず、話し出す。荷風を読んだのは確か高校生のころ。発禁処分を受ける作家、と言うところにも勿論興味はあったが、取り立てておもしろいと思わなかった。まあ、文学史に出てくる作家だから読んだ、といった感じ。ところがそれをつい最近読み返し始めたところだったからだ。「墨東奇談」なんていうのは最近でいえば、スポーツ新聞の盛り場探訪記みたいで面白い。さらに「断腸亭日記」を読み返している最中で、枕元において寝る前にパラパラめくる。なんと言っても荷風は稀代の不良。不良少年から不良中年、そして仕上げに不良老年、中年になった私としては憧れの的。無頼も極まれり、といった趣で、後の坂口安吾や太宰治、あるいは壇一雄も荷風の前では霞んでしまうくらいの大不良・大無頼。肝の据わり方も尋常ではない。なにせ、遊郭から大学に教えに通う。学生には久保田万太郎や佐藤春夫がいる。最後は落籍せた遊女を妻にして、置屋を経営させる。そして挙句の果てにたったひとりで野垂れ死に。
どうも女性がそこら辺を面白いというのがちょっと解せない気もするが、まあ、私の勝手な思い込みかもしれない。
しかし、外国にいても、荷風なんかを簡単にインターネットを通じて手に入れられる、と言うのも時代と言う奴だね、と言うの小説とは全然関係ない感想。
ところで、もう「最近の若いモン」は漱石や鴎外辺りは学校で読まされても、他は余り読まないんだろうな〜、と勝手に思っていた。ところが「アルジャーノンに花束を」で有名なダニエル・キースと宇多田ヒカルの対談を読んでいたら、なんとその中で、当時16歳の宇多田ヒカルがダニエル・キースに、志賀直哉と武者小路実篤を紹介しているのにはびっくりした。ニューヨーク生まれ、ニューヨーク育ちの宇多田ヒカルが「城之崎にて」を読んでいて、その脇に実篤の絵入りの色紙なんか置いてあったらおもしろい、「仲よきことは美しきかな」なんて。
しかし、武者小路実篤が翻訳されたら欧米人は読むだろうか???
2007-08-06
日曜日に台風4号が関東に接近。上陸は避けられたものの、沿岸をかすめて通過。その日は朝から雨。稽古を始めてからしばらく
は雨と風がけっこう激しかったが、そのうちに雨が止む。雨があがると同時に、風が北よりに変わる。「あ、台風が東に抜けたな」と、
頭の中で天気図を思い描く。天気のせいか何時もより人が少なかったが、軽く組み手をやって稽古を終わる。
稽古終了後、家に帰ってから海を見に行く。海岸にでた途端に凄まじい波の勢いに圧倒される。海鳴りが襲い掛かるように響く、肌があ
わ立つ。台風の風に引き起こされたうねりが海岸に近づく。浅瀬に乗り上げたうねりは力の行き場を失い、盛り上がり、波頭を切り立て
て海岸に押し寄せる。7メートルから8メートルに達した波が一気に崩れ落ちる。その質量、そのエネルギーが何度も何度も崩落、激突、
飛散。飛沫は風にあおられ、光をひいて舞い上がり、飛び散る。海が煙る。
自然の圧倒的な力を眼の前にすると、人の力のなんと無力なことか。人は自然の中に生きてきた。でも、自然は人の為にのみあるわけではない。
環境破壊は進む。人の歴史は自然を破壊してきた歴史。文明は全てエネルギーとしての森林を切り開くことから始まった。ヨーロッパも
そうだし、メソポタミアで発見された最古の叙事詩、ギルガメッシュも森の神との戦いの物語だ。日本人の中にある原風景としての里山も、
何の事はない森林を切り開いて作り上げたものだ。
しかし、自然は強靭。海の汚染も、オゾン層も、人の尺度で考えるから深刻。だが果たして地球の尺度からするとどうなるのか。40億年、
50億年と言う地球の尺度から見ると、案外なんて事のない汚染なのかもしれない。
人が滅び、建物が崩壊して地球上から文明の一切の痕跡がなくなっても、太陽は輝き、海はうねり、風は吹き渡る。そしていつか再び、 未知の生き物が文明を起こし、太陽の恵みを受け、海鳴りや風を聞きながら生きていくのかもしれない。
う〜ん、どうも台風の話から猿の惑星っぽくなってきた。
2007-07-24
母方の実家の祖母が茨城県の六郷の出身、今の取手市になる。利根川流域の稲作で有名な水郷地帯の一角だ。
小さい頃に遊びに行った記憶がある。典型的な米作農家で、ヤギを飼っていた。この時、生まれて初めてヤギの
乳を飲んだ。母屋の脇を用水を兼ねた川が流れ、子ども達がうなぎを取る仕掛けを川に沈めてくれた。勿論用水
は利根川から取水。トイレが母屋とは別にあり、夜中に眼が覚めて母についてきてもらった覚えがある。外は月
明かり以外には何の頼りもなく、都会では知ることの無い夜の暗さに驚いた。朝になって用水から仕掛けを引き
上げたが、残念ながら収穫は無し。不思議に思ったのは納屋の梁から船がぶら下がっていたこと。今考えると洪
水のときの足替わり、と言うことだろう。
川の氾濫は、逆に言うと上流からの恵みともとれる。治水は人々の望みだったに違いないが、氾濫が無くなれば、
豊かな恵みも無くなるという事になる。中国の黄河や揚子江が氾濫によって土地を肥沃にしていたように、ある
いはエジプトのナイル川がそうであったように。
山を削り、護岸工事を繰り返し、河をコンクリートで囲うことによって確かに氾濫を押さえ込んだように見えて、
逆に土地をやせ衰えさせ、化学肥料に頼らざるを得なくさせているのかもしれない。ダムを作って水害を防止す
れば上流からの恵みを多く含んだ土砂はダムに溜まるだけで、下流を潤す事はない。ただ上澄みだけか流れてい
く川が豊かなはずは無い。森が海の母といわれるが、こうなると母ではいられなくなるのかも知れない。
大型の台風が上陸しそうだ。
台風被害は勿論ないほうがいい。
しかし、台風があるおかげで、深い入り江の多い日本の沿岸は水が入れ替わる。
台風でもなければ流れの無い入り江の深いところでは、水が死ぬ。
自然は別に人のためにだけあるわけではない。
その自然に手を入れるということの難しさ。
207-07-13
自宅を出た道路の片隅になにやら見かけないものがある。道路より一段高くなったお向かいさんの低い塀のすぐ下。 よく見ると蛇だ。私の親指よりちょっと太め、長さは1メートルくらい。8の字にとぐろを巻いて鎌首をもたげている。 口をカッと開き、虚空に向かって威嚇するようにじっとしている。
子どもの頃はそこらじゅうに空き地があった。そんな空き地でよく蛇を捕まえては遊んだ。尻尾を掴んで振り回した り、怖がる女の子に投げつけたりした。小さな穴を掘り、蛇を投げ込んでみんなで小便を引っ掛けたりした。しかし、 アスファルトで舗装された道路の上の蛇は、場違いで悲しい。そっと手を出して頭に触れる。相変わらず蛇は虚空をに らんで動かない。死んでいた。今にも躍りかかりそうな姿で死んでいたのだ。
ふっと数年前に見た海亀を思い出した。夏のある日、三浦半島の荒崎の友人宅に子どもをつれて遊びに行った時だ。 荒崎はその名の通り、荒々しいリアス式の海岸の景観で有名。車を駐車場に入れ、さっそくみんなで海岸に散歩に出た。 すぐ眼の前が漁港。港の脇の船揚場を抜けて岬の突端に行こうとした時のことだ。子どもが「あ、亀だ!」と叫んだ。 成る程亀がいる。アカウミガメ。甲羅の大きさは一抱えほどある。その亀が昂然と首をもたげ、辺りを睥睨している。 しかし、動かない。そこだけ時間が止まっているようにその亀も死んでいた。船のスクリューにでも傷つけられたのか、 甲羅の後ろに大きな傷があり、わずかに血が流れた跡があった。腐臭もしないことから死んで間もないことが判る。 傷ついた身体で陸に上がり、水際から20メートルほどで力尽きたに違いない。何を思って20メートルの距離を歩ん だのかは、勿論判らない。しかし、死んでもなお昂然と首をもたげた姿からは、自然に生きるものの気高さが迫ってくる。 生きる意志を強く訴えてくる。
蛇にしても亀にしても、何故そのような格好で死んでいったのかはわからない。全ての蛇や亀がこのように死ぬわけで もないだろう。しかし、その姿は、ぬくぬくと生きている人間に、何かを叩きつけているようだ。生きて生きて、最後の瞬 間まで生きて、ついに生きたまま時間が止まる。生きているように死ぬ。死んだように生きるな、そう言っているのかもしれない。
2007-07-07
夜中に息子が居間のパソコンの前でヘッドセットをつけて何かぼそぼそ話している。インターネット電話という奴。深刻そうな感じなのでほって置いて寝た(電話代もタダだし)。翌朝その話をすると、
「うん、結構深刻だったんだよね。」
「何が深刻だったんだ。」
「友達が死の恐怖に取り付かれてね」
「病気かなんかにかかってるのか?」
「そうじゃなくて、自分が死んだ後の世界を考えると頭がおかしくなりそうだってさ。」
高2だったら当たり前に悩む内容だ。自分が生きていることに気がついて、今度は死ぬことに気がつく。
自分の死後も世界があるということに愕然とする。
人生の意味について考える。
私にも記憶がある。
ある日学校の校庭に立つ大きなヒマラヤ杉を見上げる。
風が吹き抜ける。
自分が生まれる前からこの樹は此処で生きていた、当たり前にそう感じた。
不意に、自分が死んでもこのヒマラヤ杉が変わらずにそびえ、風が吹き抜けていくんだ。
そう感じた瞬間に震えるように死に対する恐怖を感じた。
過去と現在と未来が一辺に自分の中に流れ込んできた訳だ。
今までは自分が世界だったのに、自分と世界が別にあると気がつく。
この頃に気がつかないと気がつくときが無い、それで悩む。
なんで自分がここにいるのか、死んだらどうなるのか、何のために生きるのか。
「そりゃ深刻だよな、実を言うとお父さんも、それをずっと考えていまだに答えが出ない」
「へえ、そうなんだ。」
どうも息子の返事は軽い。
「大変だな・・・。」
「うん、大変。なんか精神科に行こうかって言ってた」
「・・・???」
どうもよく判らない。精神科がなんでこういう問題に出てくる。
どうも話がここら辺から繋がらない。
人生の意味や自分の存在や死・時間・世界・宇宙、なんでそう言う問題に精神科の出番があるんだ。
「そう言う悩みは精神科の先生が治せるわけ?」
「どうだかね」
こういう患者が増えると精神科の先生も大変だ。
「お前、そう言うのは医者に行くより本を読めば少しは考え方の糸口ってのが見えることがあるんだぞ」
「そんなことが本に書いてあるの」
「当たり前だ、そう言うことが書いてあるのが本だ」
「どんな本」
「うん、一口には言えんけど、まあ、古典て言われてるヤツだな、大体は。むかし書かれて、今も残ってるやつは大概そうだ」
と、ここまで話して息子は話が長くなりそうだと判断したのか、自分の部屋に行った。
ここで「例えばどんな本」等と話を継げばどうなるのかを経験上知っているようだ。
しかし、精神科って言うのが出てくるのは、こういう悩みを本人は気の迷いだ、と感じてると言うことなのか。
人生最大の悩みだと思うんだが。
これを悩まないで、他に一体何を悩めって言うんだ、何を本気で考えろっていうんだ。
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おしえてください
私は時折苦しみについて考えます
誰もが等しく抱いた悲しみについて
生きる苦しみと
老いてゆく悲しみと
病いの苦しみと
死にゆく悲しみと
現在の自分と
――――――――――――
なんて歌を本気で歌ってるオジサンもいるくらいなのに・・・。
・・・最近の若いモンはよく判らん。
2007-06-29
別に夫婦合わせての年齢ではないが、十分にフルムーンに値する。
ある弟子と組み手をしたときの二人の年齢の合計だ。
曰く、百十歳組み手。
五年前には二人して「百歳組み手だね」と笑った。
私が五十六歳で、弟子が五十四歳。
これが結構強い、小柄で普通の叔父さんだが老獪な組み手をする。
勿論私とだけでなく、二十代三十代の兄弟弟子とも同じように組み手をする。
結構若手の壁のようになっている。
組み手だけでなく、推手は組み手以上に目標のようになっている。
私を除いて五十代が三人いて、彼らも勿論組み手もするし、推手もする。
新しい弟子が入ってくると、五十歳でも組み手するんですか、と驚く。
それがだんだん当たり前に見えてくる。
当たり前どころではない、自分が五十代に勝てないことがわかってくる。
経験は伊達ではない、と言うのは、経験は体力や身体能力を凌ぐことがあるという事だ。
勿論それを凌げる経験の蓄積が無ければ話にはならないのはあたりまえ。
体力を凌ぐ経験が無ければやられる、それだけ。
(本当を言うと、体力だってそんなに落ちるモンではない、と思っている。)
経験とは組み手の積み重ね。
多くの組み手を経験して、工夫する。
それは私だって同じ事、そういった蓄積の上に工夫が成り立つ。
体力では負けても経験と洞察力、そして組み手の工夫では負けない。
二十代での経験と工夫は勿論必要だ。
しかし、五十代の経験と工夫は、その内容の厚みが違う(と信じたい)。
なんで年齢に関わらず組み手を当たり前にやるか、と言うと体力的なことだけが理由ではない。
簡単に言えば、大事な事は五十代になっても彼らが権威を背負って無いからだ。
何段だとか、そう言う権威を持っていたら彼らも気軽に組み手が出来ない。
負けたら権威が失墜する。
ところがそんなものは何処にも無い、余分な権威が無い。
権威なんて所詮他人が作り出したもの、そんなものに絡め取られる必要はない。
だから自由に組み手が出来る、誰に負けても恥ずかしくない。
此処にいる俺とお前が組み手する、それだけ。
負けて失う権威なんて無い。
それが良い。
私だって、自分が権威だなんて思った事はない。
勿論打たれれば悔しい。
でも素直に悔しいだけで、そこに背負っているものは無い。
あるとすれば、それは自分の矜持、それがあるから悔しい。
もし失ったら努力して取り戻せばいいだけ。
悔しいって言うのは楽しみの一つだ、バネになって力になる。
それ以外に失うものが無いって言うのは自由だ。
だから自由に組み手が出来る、自由だから楽しい。
普段の生活の中は不自由だらけ、しがらみってヤツだ。
武術をやっているときくらいは、そんな不自由から開放されたって良い。
2007-06-22
年間を通じて毎週19時から同じ場所で稽古する。不思議なもので、立つ場所もほとんど変わらない。近くに小さな山があって、 見上げると夜空の一角にその山の影が迫ってくる。一年間いつも同じ角度から空を見ていることになる。そうすると、山との位置 関係で星の位置が少しずつ変わっていくのがよく判る。星の位置が変わるのと同じように、月の出る時間が変わり、場所が変わり、 満ち欠けが変わる。そうしていると飛行機の航路までわかってくる。いつも同じ時間に同じ辺りを同じ方向に飛行機が飛んでいく。 私のいる場所も変わらず、山の位置も変わらず、飛行機の航路も変わらないが、星と月の位置が刻々と変化していく。
月に何回かは、日の出を海に浮かんで迎える。同じ日の出でも時間は季節によって違う。冬は遅いし、夏は早い。太陽の上る位 置が海に入るごとに違ってくる。遠くに江ノ島が見える。冬は江ノ島の南側から陽が昇る。それが徐々に北にずれていく。今の季節 は江ノ島を完全に外れて、市街地の方から陽が昇ってくる。勿論光の手触りも違ってくる。陽に照らされて所在無さげな月の位置も 変わってくる。
天動説でも地動説でもどちらでも良いが(天動説はさすがにちと古いか)、宇宙を考えると何かとてつもなく大きなものの中に 自分が今いると言うことに、今更ながら驚いたりする。いや、驚きというより恐怖、あるいは畏怖と言った方が正しいかもしれない。 神様を信じるような素直な性格ではない。それでも、この宇宙という集合離散・生成消滅の永遠のくり返しの中で、この今という時 間に自分が此処にいると言う奇跡。今此処に生きていると言う奇跡、この事に素直に驚いてしまう。
ハワイからホクレア号が横浜に到着。ホクレア号は全長約19メートルのハワイの双胴外洋カヌー。近代的な機材を使わず、星の 位置と風の力で外洋を走る。昔ながらのポリネシアの誇りと航法を守り太洋を乗り切ってきた。ハワイというと、日本から飛行機で 行けばあっという間、パック旅行で行けば下手をすれば熱海にいくより安いかもしれない。しかし、その距離を星を頼りに太洋の真っ 只中でポツンと航海する、と考えると恐ろしい気さえする。そういう時、人は多分自分の存在の奇跡を向かい合う。夜空の星・月・ 風・波。それらが時に恐怖の対象になったり、希望になったりする。生きることと、生かされることの狭間に人はいる。
ホクレア号の関連リンク
http://www.yokohama-seafes.com/hokulea2007/link.html
2007-06-12
40日間というのが長いのか短いのかは判らない。40日間どうしていたかと言うと、娘と口をきかなかった。 いやきかなかったのではなく、口をきいてもらえなかった。理由は勿論親子喧嘩。
夜出かけるというので、こんな時間に外出なんて、と中三の娘と口論。思わず手が出た(ご心配なく、勿論あて止め)。 次の日から朝起きて、「おはよう」の返事がない。「いってきます」「ただいま」もない(連れ合いや兄弟には普通にしているが)。 それが40日間というのは結構きつい。家族の中で口をきかない人間がいるというのは結構なプレッシャー。結構気詰まりなものだ 。まあ、娘がこんなに頑固・強情だとは知らなかった。表面は知らん顔をしているが、なかなかどうしてしんどい。 冷戦の終結は、何の事はない、お小遣い。修学旅行に持っていくお小遣いと、自由行動の際の私服のおねだり。 さすがに娘も色々計算したと見えて、和解が成立。しっかりとお土産に「生八橋」を買ってきた。 一件落着だが、これから先が思いやられる。
しかし、稽古で「思ったときには手が出るように」と指導しているが、まさかそれがこんなところで出るとは、 これを稽古の成果と見るかどうか。考えてみれば、思わず手が出て、と言うのは十数年ぶり。以前ある夏のこと 、身重の連れ合いと夜の公園を散歩。ちょうど夏休みで近所の中高生が10人ほどたむろして花火をやっている。 その打ち上げ花火を彼らが横に向けて発射。それが目の前に飛んできてカッとなった。そこまでは記憶にあって 、次に気がつくと、既に数人の高校生に対して手を上げていて、そこで我に返った。それほどカッと来る性格だとも思わないが、 どうも事が家族と関わるとそうでもないらしい。子育てと言うのは、弟子を育てるより厄介なことなのかもしれない。
2007-06-04
毎年慣例の春の交流会が終了。勿論季節柄お花見とセットでやってきた。太気会と改称する前の横浜太気拳研究会からの慣例。 最初は自分たちだけで稽古の後にお花見、と言う感じで始まった。そこに佐藤先生率いる拳学研究会のメンバーが参加してくれる事となり、 一気に交流と言う感じになった。どうしても自分たちだけでやっていると、井の中の蛙という感じになりがちなので有難かった。 そして次に島田先生の気功会が参加してくれるようになってからもう5年ほどになるかもしれない。この3年ほどは鹿志村先生の中道会も参加、 太気会を含めて4団体での交流・お花見会となった。
交流会の内容は、その時その時に応じて各先生にミニ講習をお願いしたりして、その後はもちろん組み手。 いつものメンバーと違う相手との組み手は緊張もするが良い経験になる。また自分が組み手をしなくても、他会の人同士の組み手を見るのもなかなか勉強になる。 ただ強いとか弱いとか言うのではなく、何処が自分と同じで何処が違うか、を見るのも稽古のうち。太気拳というのはどうもなかなか間口の広い拳法で、 稽古の中から何を引き出し、どう料理するか、がポイント。それが上手く出来ないとただ漫然と禅を組んで組み手、という事になってしまう。 稽古で何をつかみ、それをどう組み手に生かすかが勝負。そしてそれを身をもって示し、指導するのが自分に課されていることとなる。 要するにビジョンを提示するということかな。この所、自分の中でいろいろな部分が繋がり、あるいは分離できてきた。 そのおかげで身体が振動するといった感じが出てきたので、今回はその感覚を通して組み手を見ることが出来た。
全体としては組み手に無駄が多いというのが印象。無理やり打ちに行ったり、無駄に動き回ったりが多い。 まあ、全部がそうという訳ではないが、組み手で自分の何を引き出そうとするのか、をよく掴まないままやっていると言う感じが多い。 稽古の組み手は言ってみれば実験、だから何を実験するのかわからないままに組み手をしてもしょうがない。 まあ言ってみれば、稽古不足で課題のない組み手をやっても時間の無駄という事と同じ。 頭を使ってビジョンを持って組み手をしよう、という事。ただ殴り合って強くなるのは、最初の半年・一年。 そこら辺を明確にする事をして行かなければいけないな、と反省、これからの指導に生かさなくては、と思った。
しかし、今年はお花見の準備で異変。交流会の日は本当にお花見日和で人出も多い。それは良いんだけど、スーパーに買いだしに行ったら、 肉が品薄。近所の二件のスーパーでステーキ肉を買い占めてもまだ足りない。あせった。なにせ、 鹿志村先生からバーベキューの肉を楽しみに来ました、とまで言われてしまっている。最後は途中参加の連れ合いに携帯で連絡、 買出しを頼む始末。ともあれ、昨年は確かお花見の最中に雨が降り出して大騒ぎをした記憶がある、それに比べれば上々の首尾。 暖かな春の日、たいした怪我人もなく好天のまま終了。
最後に、参加してくださった各先生・道場生のみんなに感謝。またよろしくお願いいたします。
2007-04-06
最近はあまり映画館で映画を見ない。せいぜい娘にせがまれて連れて行くくらい。それよりもレンタル でDVDなどを借りてきて一人で見ることが多い。 それも新しいものは特に見たいと思わない。昔見てもう一度見たいと思うものを借りてくる。何時頃の ものかと言うと60年や70年代のものがほとんど。 人間歳は取りたくないものである、ひょっとするともう懐古趣味に陥っているのかもしれない。しかし 、無理に新しいものを見ることもないと思っている。 そうして借りているうちに中には買っていつでも見たいと思うものがいくつか出てくる。借りていると、 何時までに返さなくては、と言う思いが先にたって、無理見していると思うときがあるからである。 で、ここの所幾つかのDVDを買った。最初に買ったのが「第三の男」なんと5百円。内容はいまさら言うまでもない。 この映画について話し始めれば止まらない、と言う友人が何人もいる。映像的にも、内容的にも、そし て音楽的にも、ついでに勿論俳優についてもついついマニアックになる映画。 もう一つおまけに作家論にも発展するので、小説であること忘れる訳にはいかない。著作権の問題かわか らないが、とにかくこのDVDは安い。 続いて買ったのが「男と女」。これも今更何も言う事はありません。主人公アンヌの亡夫役のピエール・ バルーが格好良い。 あんな風に人生を心底楽しんで生き、そして死ねたら本望と言う感じ。何回か劇場で見た記憶があるが、 ひょっとするとピエール・バルーを見に行っていたのかもしれないと今になって思う。 しかし、アンヌ役のアヌーク・エーメな妖怪的(誤植に非ず)な美貌、この印象は30年たった今も変らない 。そして、「ビッグウエンズデー」。 主人公のマットと同年代の頃見たせいか、心に残っている作品。いわゆるサーフィンを題材にした青春映画と いうヤツ。 この頃は海といってもダイビングにはまっていたのでサーフィンのシーンには特に印象はなかったが、今見る と大きな波に挑むと言うことの恐怖心が少しは判るせいか少し違った印象がある。 波は怖い、新米サーファーとしては自分の身長を超える波に乗るのは「度胸」・「肝っ玉」。自分自身沖で恐 怖心に震えながら波を待つという不思議な事をする(怖ければやめればいいのに)。 サーフィン関係で買ったものがその極めつけ「ライディング・ジャイアンツ」、これだけは新作の部類に入る。 とにかく大きな波に挑むサーファーの映画。六階建てのビルくらいの波に乗るというもの。 ジェリー・ロペスと言う伝説的なサーファー、彼が大波に挑戦した時の気持ちを語った言葉 「It’s a good day to die(今日は死に日和かも知れない)」。 挑戦をやめて帰りたい、しかしやめて帰ったら一生自分を許せないだろう、だから行く。自分 自身の中に基準を持つと言うことの大切さを教えてくれる。 他人の評価ではなく、あくまで自分自身を許せるかどうか、が判断の基準。出来ない事に挑む、 というのが人の病気だということが良くわかる。 これは海でも山でも、あるいは他の世界でも共通。自分の何かを越えたい、と言う気持ちが人を 変えていくのはスポーツだろうと武術だろうと全く同じだろう。 人の基準に合わせた稽古をするのではなく、自分の基準を見つけ出す。太気でもやっぱり同じことだと思う。
とは言っても、映画はやはり映画館がいいか・・・。
2007-03-07
2006年ももう少しで終わり。いつも思うが、年々時間の経つのが速くなってきている気がする。 子どもの頃は一週間が、一月がとても長かった気がする。何時まで経っても一日が終わらず、 何時までも遊んでいられた。一瞬一瞬が濃密だったのかもしれない。これはどうも自分だけの 感覚ではなく、弟子の誰彼に聞いても皆そんな感想を漏らす。「象の時間、ねずみの時間」と 言う本があったが、「大人の時間、子どもの時間」と言うのも確実にあるような気がする。
稽古を外でして居ると季節の変化に敏感になる。桜が一瞬の狂い咲く春。耳を聾する蝉の夏。 今年見事に感じたのは紅葉。いつもの稽古場所に二本のもみじがあることに初めて気がついた。 日当たりの関係もあるのだろう。二本のもみじから何種類もの紅のグラデーション、自然の驚異。 それも次の週に行くと全くその面影もなく、枯れ落ちている。全て一瞬に起こり、その瞬間を逃 すとそんなことが起こったことの痕跡さえなくなってしまう。
そう、大事なのはその瞬間を捉えること、その難しさ、その面白さ。って、何を急にと思うかも しれないが、これは武術のこと。武術で大事なのは人と相対しての一瞬、見逃せばなくなってし まう一瞬を捉えようとする緊張。間、呼吸ともいくらでも言い方はあるのかもしれないが、これ がないのは武術ではない。自分と違う感性の相手がいて、何が起きるかわからないところでの瞬 間の取り合い。やることがあっても、やる瞬間を逃せば意味のないものになってしまう。これが 妙味。それに反応する感性と神経と身体を育てる。それが育てられないと「武術家」とはいえな い。どうなるのかと言うと「武術研究家」や面白いのは「武術稽古研究家」と言うものになるら しい。研究家はいつも武術の外に居る。
2006-12-23
小中学生に何か武術を習わせたいのだけれど、と言う相談を受けることがある。どんなものが良いか、と言う質問。 私の答えは簡単、武術なんて習わせない方が良いですよ、と答える。小さい頃はそれこそ球技などで自由に走り回る方が良い。 野球でもサッカーでもバレー・バスケと色々ある。でも武術はやめた方が良いよ、と言う。 いろんな武術の経験者を山ほど見ている私が言うのだから間違いが無い。もしどうしてもやらせたいならせいぜい柔道くらい。 畳の上で跳ね回っていれば良いと思う。小さい頃は身体を自由に動かし、柔軟で豊かな創造力を養っておかなくてはいけない。 武術をやるならそういう最低限のものが出来てからの方が良い。 だいたい年端も行かない子どもに何が悲しくて相手をやっつけるなんていう事を教えなくてはならないか、と思う。 (太気拳は別だと思っているが、それだってある程度からだが育ってからの方が良い。だから私は子どもを教える気は全く無い。) なぜなら、ほとんどの武術と言うのは窮屈で形に拘っていて、逆にそれぞれの自由で創造的なものを摘み取ってしまうからである。 形を決めてそれを守る事を強制する。それぞれの個性を摘み取り、型にはめることが流派の個性だといわんばかりである。 子どもに自由にのびのび育ってもらいたい、と思ったら武術は習わせない方が良い。 子どもの頃からずっと武術をやってきました、と言う弟子も何人かいるが、そういうものほど最初は手がかかる。 何故かと言うと自然にやってよい、という事の意味を理解できないからである。こういう姿勢が良い姿勢と教えられる。 こういう時はこの技をと教えられる。だからそれを守ろうとする。何故かわからないけれど、と言う但し書きつきで何かを守ろうとする。 人に言われた事を守るのではなく、自分がこうしたらどうだろうと工夫するのが創造力である。 ところが大半の武術は最初に技ありきだから、創造的なところが無い。違う事をやるとそれは流儀ではないという。 人の創造力を矯めるのがほとんどの武術である。だから武術をやっている人は本人の思惑とは別にそれほど強くない。 武術を10年、15年やっても、力が強くはしっこい奴には勝てない。殴る蹴るの稽古をいくらやってもこういう手合いにはそうそう勝てるものでは無い。 多分やっている本人もそう感じている。力が強くはしっこい。本当に大事なのはこれである。 「力が強くはしっこい」この言葉の中には武術に必要な力強さや柔軟性、そして創造力が含まれている。 「何をやるかわからない」これが創造力であり、武術で実は一番大事なことなのである。太気拳では有形無形と言う。 形あって形無し。力強く、柔軟、そしてはしっこい、これを形あって形無しと言う。 技術がどうのこうのではなく、太気拳はそうなるための拳法である。様々な武術を経験して太気拳に辿り着く弟子がいる。 そして初めて武術が形や技術で無いことに気づく。こうきたらこう、そんなマニュアルの繰り返しで強くなれるなら誰も苦労しない、そう気づく。 そこが彼の新しいスタート地点になる。
2006-09-04
写真というものは面白いものだと思う。当たり前だが静止している。静止しているが動きのある写真と動きの無い写真がある。 止まっているのに動きを感じる。紙の上に印刷された粒子の集合から視覚が何かを感じ取る。改めてなんでこんなことを感じた かと言うと、自分が海で遊んでいる写真を見つけたからである。サーフィンを始めて2年。自慢ではないがヘボである。なかなか 上手くならない。ただそれなりに遊べるようにはなった。で、インターネットでサーフィン関連のサイトを検索していて自分の サーフィンしている写真が載っているサイトを見つけたのである。近所の写真屋さんが運営するサイトで、近場のポイントでの サーフィンの写真を公開している。もちろん気に入ったのがあればプリントもお願いできる。たまたまそこに何葉かの写真を見 つけたわけである。写しているのは台風などで波のサイズが上がった時。だからほとんどは上級者の写真である。いつも顔をあ わせる顔なじみの写真もいくつかある。皆なかなか格好よい。サーフィンをしている写真だから、当然のごとく動きがある。 当たり前、と思ったら動きの無い写真がある。誰だ、と思ったら自分の写真だったのである。おいおい、と思わず悲しくなった。 見た目でこんなに違いがあるものか。上手と下手が写真でこんなにもはっきりと判るのか、である。写している瞬間は実にいい瞬間である。 太陽に波がきらめいて崩れかかる。そこをサーファーが滑り抜けようとする。そんな一瞬を切り取った写真のはずが、ヘボのおかげで台無し。 まるで躍動感の無い写真になってしまっている。どこがそんなに違うのか、なぜ上手い人のには動きが感じられて、私のにはそれが感じられないか。 見るのではなく、今度はじっくりと観察する。判った。視線が違う。私の写真(ということは私のサーフィンと言うことになるが・・・) は視線が足元を向いている。上手い人は皆視線が次のあるいはその次のアクションのためのゲレンデを見ている。遠くを見ている分だけ 長いスパンのイメージを作ることができ、変化に幅が出来てくる。有体に言えば、眼の前しか見ていないのが私、だからイメージが貧困で 変化の幅が無い。未来を見据えているのが上手い人で、イメージが豊富な分変化にも柔軟に対応する。その違いが動きのある写真とそうで ないものを分けている。現在の動きを身体が表現し、視線が未来を暗示するとでも言うか、そこに動きを感じ取るわけである。背景が波と言う、 変化の権化みたいな自然だから余計に動きのなさが際立つわけである。まあ、眼の前ばっかり見ないで、きちんと将来のことを考えなさいよ、 なんて昔誰かにいわれたような気がする(将来のことばかり夢見ないで、きちんと足元を見なさい、なんてことを言われた記憶もあるが)。 どうも三つ子の魂百まで、いまだに変わっていないらしい。サーフィンだから、遊びだからこれでもいいが、ことが拳法になると困ったことになる。 長いスパンで遠くをしっかり見つめながら、同時に地に脚がついた稽古を今出来ているか。弟子に言うより自分に言い聞かせないといけない。
2006-07-03
先日中学生の娘の体育祭を見に行った。普通は土曜日か日曜にやる、そうすると私は稽古があるので見にいけない。
たまたま雨のために延びたおかげで行くことが出来たわけである。特に何を見たいと思っていたわけではない。
しかし、行ってみるとこれが結構面白い。雨上がりの朝、子どもたちが精一杯に頑張って走る、走る。
一年生くらいはまだそれほどでもないが、2年3年と上がっていくに従って、迫力が出てくる。
リレーや短距離走はそれこそ地響きを立てて走ってくる。部活で運動をしている子も、あるいはそうで無い子も皆等しく力強く軽快、まさに翔ぶが如く躍動。
若いということが輝き、生命が光る。がり勉の子もちょっと悪ぶっている子も流す汗は同じように光り、まっすぐに笑い悔しがる。
育っていって欲しい、まっすぐに育って言って欲しいとそう思う。自分が今までしたどんな苦労も悔しさも、
あるいは悲しさも何一つ知ることなく彼らが育っていったらどんなに素晴らしいか。もちろんそんなことが出来るわけも無いけれど、
親の気持ちは大体そんなところだろう。彼らから感じるのは生命の勢いもあるけれど、もう一つ感心するのは自由さである。
もちろん日常の中で色々規則に縛られて、と彼らは言うに違いない。ところがあの場、あの瞬間にはそんな束縛は何処かに消えてなくなり、
彼らに一瞬光り輝く自由が宿る。この伸びやかさが貴重なものだとまだ彼らは気がつかない。自らの瞬間を楽しむ自由。
この歓びを彼らに失って欲しくない。それを失う時に彼らは同時に創造力も失う。社会に出て生活をしていくということは、同時に束縛に絡め取られていくことでもある。
しかし、そんな中でも創造的でさえあれば、自分を失わずにすむかもしれないと思う。自由の、そして創造力の宿るような人に育てよ、と心底思う。
しかし、地響きを立てて走り回る子どもを見て、もうこの子には腕力では勝てないなと思ったお父さんも結構居たはず。
人生上り坂の子どもたち、片やそろそろ停滞あるいは下り坂のお父さん・お母さん。
5月にも関わらず強い日差しの中、ビデオ片手に笑顔で声援を送りながら結構感慨にふけってる人も居たんじゃあないでしょうか。
2006-05-31
学生時代の友人が引越しをした。近くと言っても電車で15分ほど。早速引っ越し祝いに一升瓶片手に訪問。 引越しから2週間であらかた片付いている様子。なんと言ってもその友人は引越しが趣味のようなもの、手際がよい。 知っているだけでも二桁の記憶がある。毎年住所録を書き換えないと出した手紙が戻ってくる。引越しの理由は良く判らない。 だから趣味と言うのだ、と友人の奥さんは言う。何かよんどころない事情があって(例えば仕事の関係とか)と言うわけではない。 住む町が気に入らないと言うわけでもない。ほとんど同じ町内と言える範囲で引越しをする。 引越しだって只ではない、引越し貧乏と言う言葉があるくらいだから費用も当然かかる、なのに引っ越す。 確かに新しい住まいに移る、ということは何かワクワクするが、引越しという大仕事の労力を考えると普通は二の足を踏む。 近所付き合いだってある。そこら辺を酒を飲みながら話していると、要は物を溜め込みたくないのだと言う。 だったら引越しをしなくても大掃除でいいじゃないか、と思うがどうもそう言うものでもないらしい。 「新しい酒には新しい酒袋を」とか何とかいいながら結局「趣味だからね」。しかし、考えて見るとどうも人には二種類いるような気がする。 物を捨てられる人と、ものを捨てられない人。件の彼は、捨てられない性格なのに、敢て捨てよう溜め込まないでいよう、と言う事なのかもしれない。 何か執念じみたものを感じる。私はどちらかと言うと捨てる方に属する、と言うか物にあまり固執しない。自分のものは布団と茶碗があればいい。 いろいろな記念品にもあまり執着はない。どこそこに行った記念の品とか、あるいは写真もそう。 よく観光地で写真やビデオを撮りためる人がいるが、私はせいぜい2.3枚。現地に行ったアリバイ程度にしか撮らない。 いいところなら記憶に残せばいい。忘れるならそれでいい。写真を撮っているとそっちに気持ちがいってせっかくの気分が台無しになる気がする。 大事なのはそこに行って何かを感じたという経験であって、行ったという記録ではないはず。 あっと、これを書いていて今沢井先生の写真嫌いを思い出した。 外国から武術を習いに来てすぐ記念写真を撮りたがるのを嫌がったのは案外これと同じ気持ちなのかもしれない。 武術で大事なのは記念写真という記録ではなくて、その時その場で何かを身体に感じ・経験し・刻印すること。 それが稽古という事。日常生活だって土台記憶に残るあるいは残したい事などそうそうある訳ではない。 今までの人生を振り返ってみれば確かに様々なことの積み重ねには違いないが、明確に記憶に残っていることなどほんの僅かでしかない。 大部分の記憶から欠落してしまっている経験から今の自分が作られている。多分記録を残すっていうのは、そこに何かの達成感があるからだと思う。 だけど達成感と言うものはほんの一瞬でその瞬間はもう過去だからいいんじゃない、次行こう次へという性格なのかも知れない。 これは格好よく言えば無常感。無常というのは別の言葉にすると過程。生きていくと言うことは要は過程を生きていくと言うこと。 武術もおんなじで名人とか何とか言うのは周りだけで、稽古と言う過程にしか武術はないのかもしれない。 あっと、これも沢井先生の言葉を借りれば「昔強かったなんていうのは何にもならない」か・・・。 「昔強かった」って言う記念写真はやっぱり捨てたほうが良さそうだ。
2006-05-10
誕生日を祝ってくれた家人が寝た後、グラスに氷、ウイスキーを注ぐ。
電気を消しガラス戸をあけて濡れ縁へ座る。まだ肌寒い新月の春の宵、空に星がいくつか、庭の隅にほの白く鈴蘭。
グラスの氷がピシ、キュッと音を立てる。氷に閉じ込められた空気がグラスから漂いだす。鈴蘭の上を漂い空に消えていく。
星までの距離は何光年かあるいは何万光年か。グラスに浮かぶ氷に閉じ込められていたのは南極の空気。
一万年前の雪に閉じ込められ、潰され封印された空気。地上のどんな騒ぎも何ひとつ知る事なく眠る空気。
ウイスキーの冷たい熱がその氷を溶かし、一万年前の空気が遠い旅を終えた星の光の粒子を浴びて広がっていく。
白く浮かぶ鈴蘭の根の下にはゴカイから進化したミミズ。気の遠くなる時間の集積が当たり前のように自分の周りを取り囲む。
人の先祖が海から上がろうと決心したのも、今日のような新月、大潮の日かも知れない。地球が46億歳、ミミズが4億5千万歳、
海が9千万歳、ヒトが5百万歳。今日の誕生日で私はたったの55歳。グラスの氷が笑うように音を立てる、ピシッ、キュッ。
思わずくしゃみが出る。何処かで誰かがネリリし、キリリし、ハララしている証拠かもしれない。
2006-04-27
何もしない、ということは実はとても難しい。何かしていないと間が持たない。気詰まりになる。で、結局やらなくてもいいことをやってしまう。 タバコなんかはその際たるもののような気がする。仕事をしながら吸う、一区切りついたらまた吸う。本を読みながら吸い、読み終わったといってまた吸う。 さあ、遊ぼうと思って吸い、終わったと思って吸う。私も18歳くらいから吸った。受験生の時は「試験にでる英単語」をタバコ片手に暗記した。 よく通った横浜の名画座「かもめ座」では、煙を吐きながら3本立てを見た(何故か怒られなかった)。 素潜りに夢中の時も、やめたほうが息が続く、と判っていて「上がった時のこの一服がね」などと言いながら吸っていた。 太気拳を始めて神宮に通い始めた時も同じ。「体力で組み手をやってもしょうがないから」などと言い訳がましく、やはりやめなかった。 漁師をやっている時も、陸に上がって仕事についてからも同じ。タバコを吸わないほうが身体にいいのは重々判っていた。 だからやめようとした事は何回かあるが、結局吸い始めた。特に酒を飲むといつも禁煙に失敗する。なんとなく間が持たない気がするからである。 居心地が悪く感じるのである。で、結局悪習に戻る。ところが、20年以上続いた喫煙の習慣が、あっという間に無くなった。11年前の春の出来事である。 11年前と言うのは何の事は無い、阪神淡路大震災の直後だったからわかるのである。毎年報道番組で、私がタバコをやめて何周年かを教えてくれる。 この地震のおかげで何年たってもこの日に一体何をしていたか、を明確に思い出せる人も多いと思う。私自身この日は仕事の関係で東京の神楽坂にいた。 昼食時のニュースで地震が起こったことを知った。最初の報道とその後の被害報道の違いに驚きながら事務所のテレビはつけっぱなしだった。 仕事は繁忙期を迎え、何とかやり繰りして日曜日の稽古の時間を捻出。無論稽古の後に仕事に行くという日もあった。 地震の報道から数日後の日曜日の朝、布団の中で目覚める。何かおかしい、と気付く。ストレスで飲みすぎ、二日酔いである。 しかし、どこかおかしい、いつもの二日酔いと違う。じっと布団の中で何がおかしいのか探る。わかった、何がおかしいのか判った。 心臓が動いていないのである!いやいや動いていないのでは無論ない。動いているのは動いている、しかしきちんと動いてくれていないのである。 途中で止まる。心臓はきちんと規則的に動いてくれないと困る。それが途中で止まる。パスする。ああ、死ぬのかな、と思った。 心臓が鼓動をパスする瞬間、身体全体が喪失感に打ちひしがれるようである。いわゆる不整脈と言うやつ。 人間こういう事態になると、日頃どんな無反省人間でも己の行状を反省する。無論私もした。酒の無茶飲み、タバコの吸い過ぎ、ついでに妻には優しく。 いままで、病気などと言うものに縁が無かったせいで、節制と言う言葉は辞典に載っている熟語、知識でしかなかった。 ああ、特にタバコはよくない、つくづく布団の中でそう思った。何とか起き出し、かろうじて稽古に顔を出す。 その日一日、無論酒・タバコなし。夜になってもまだ生きていた。 普通に生活をしていて、1日にセブンスターくらいのタバコを二箱40本、酒を飲むと4箱80本くらいは吸っていた。 その付けがその朝についに来た訳である。 で、次の朝もまだ生きていたので仕事に行く。多少心臓は聴き訳がよくなって入るものの、タバコを吸う元気は無い。 もっとも、自分で吸わなくても回りが吸ってくれるから同じようなものである。それでもそうこうするうちに三日ほど経つ。 あ、三日もタバコを吸っていないのは20年ぶり、ひょっとしたらこれを機会にやめられるか・・・。 本気で死ぬかも、と布団の中で思ってから三日、やっと建設的な考えが出てくるにしては遅い。 まあ、何事にしても改めるのに遅いという事はない、と小学校のときに教わった記憶があるのでよしとして禁煙スタートである。 以来タバコを吸っていない。何年禁煙しているかは前述の通り地震報道のテレビが教えてくれる。禁煙から一年はそれでも夢を見た。 タバコを吸いたい、と言う夢ではない。不思議と吸いたいとは思わなかった。よく見たのは吸ってしまった夢である。 何の気なしにタバコを吸う、ハッと気がついて、しまった!!である。5.6回あったろうか。 夢の中で吸って、夢の中でしまった、と思うのだから話としては完結している。 本人は余り真面目に禁煙に取り組んだつもりは無いが、それでも夢に出てくるのだから結構タブー意識はあったのだろう。 タバコをやめてよかった事はあるがいまだに不都合な事は無い。タバコを吸わないと間が持たない、とよく言う。 間が持たないときにどうすればいいか。何もしなければいいだけである。誰も間を持ってクレなどとは頼んではいないのである。 勝手に間が持たない、と思っているだけである。だったら間と向かい合っていれば良いだけである。ただ間と向かい合う。 そう、これはひょっとすると「極意」かもしれない。やる必要の無い事はやらない。ただ何もせずやり過ごす。 なんと言っても、武術と言うのは、間と向かい合うのが仕事だからである。 しかし、タバコを吸っていた頃は肺がんが心配だった。この時はタバコをやめただけで、酒をやめようとは少しも思わなかった。 だから酒は相変わらずよく飲む。当然肝臓がちょっと気にかかる。しかし、やめようとは思わない。 なぜって?酒をやめて肝臓の心配をしなくなったら、次は一体何を心配するのか、が心配だからである。
2006-04-18
拳法に限らないが、面白いというのはどこから来るのか、と考えて見てわかった事がある。それは思いもしない事とめぐり合うから。 つい先日もそんな事があった。思いもしない事、とは昔の自分。先日、あるきっかけで昔読んだ本を読み返そう、という気になった。 本の名前は「百年の孤独」、作者はガルシア・マルケス。確か学生のときに読んだ記憶はあったが、細かくは覚えていない。 何故この本を読んだのかさえ覚えてはいなかった。本は確か実家においてある気がしたが、とりあえず図書館に行って借りる事にした。 開放書架には置いてなく、司書の方にお願いして、地下の書庫から出してもらう。 司書の方から本を受け取るとき、ハッとなった。覚えている、この装丁、色・大きさそして段組み。 思わず手にとってページを開き、本の匂いを嗅いだ。本を手に取り、ページを開いた瞬間、本の内容とは無縁に30数年前の自分を思い出した。 何故、「百年の孤独」を買いに行ったか、本屋への道すがらの照り返す陽射し、そのときの自分の考えていた事、感じていた事。 自分がこれからどうなるのか、どう生きていくのか、頼りなさとともに傲慢であった時代。 そう、この本を買いに走った頃、頭の中にこだましていた言葉、「本を捨てよ街に出よ」。 故寺山修二のシャイでありながら不遜な風貌とともにこの言葉に心を射抜かれていた。 その寺山修二がこの本に触発されて製作したフィルムがあり、それを見た直後に本を買いに走ったのだ。 どこで見たのか、どんな内容であったのかさえ定かではない。 ただ、本屋へ急ぐ時の照りつける陽射しと共に、あやふやでありながら何かを見つけようとあせっていた自分を思い出す。 その数年前にはやはり「見る前に跳べ」の言葉に頭の芯は熱を持っていたあの頃。 そんな自分の姿が「百年の孤独」の装丁・手触りとともによみがえってきたのである。 時間の経過と共にいつの間にか鈍磨して埋もれてしまっていた記憶。 それは出会った事すら忘れていた学生時代の恋人と街で偶然出会ったような気分。 時代は1960年代後半から70年初頭。成田では、空港反対運動がますます先鋭化していた。 新宿での街頭闘争は一時的に解放区を現出させ、学生街はフランスのカルチェ・ラタンを髣髴とさせていた。 中国では、後衛兵が「造反有理」を叫び、既存の文化の否定は嵐のごとくであったと聞く。そんな時代だった。 一冊の本が、変な話だが、その内容とはまるで関係なく昔の自分との出会いを引き寄せる。 面白いとはこういうことを言うのだろう。 予定して、あらかじめその結果を予見して何かをやっていると、それ以外には目を向ける事ができなくなってしまう。 これは太気拳でもおんなじ。この稽古はこのためにやっている、なんて考えると新しい発見を見落としてしまう。 人生が面白いのは、思ったとおりに行かないからで、思ったとおりに行かないからこそ、思いもしなかった事に遭遇する。 昔の恋人との出会いなど、そうあることではないが、それでも結構人生は面白い。
2006-04-11
今年(2006年)のお花見交流会が終了。
いつも相手をしていただいている島田先生(気功会)、佐藤聖二先生(拳学研究会)のお弟子さんに加え、今年は初めて鹿志村先生
(中道会)のお弟子さんも参加してくれました。人数が多かったせいで、もっと他の道場生と組手交流をしたかった人もいたと思いますが、
自分が組手をしなくても人の組手をじっくりと見る機会が持てたのは大きな収穫だったと思います。私も2時間に及ぶみんなの組手を見て、
自分の指導に何が足りないか、それをどう埋めていくか、と言うことを考えさせられました。各道場のお弟子さんの個性と太気会道場生の
個性の違いはやはりあります。それは指導している私の個性でもあります。それでも「やはり太気拳の組手だな」と思って見ていました。
もしここに他の流派がまぎれてくると、その違いはきっと際立ってくるものだと思います。単に強い弱いと言うことで無しに、皆が当たり
前にやっていることは、そう簡単にできることではないと言うのが正直な感想。やらなくてはけないこと、守らなくてはいけないことを
各先生がきちっと指導しているのが良く見て取れました。沢井先生の拳法に対する姿勢が皆の組手にしっかりと伝わりつつあると言うことです。
勿論自分を含め足りない事だらけですが、三先生が交流の相手をしてくれていると言うことは、交流に足る道場だと思ってくれているからです。
その事に誇りを持ち、それをさらに推し進め、目標になるような太気拳の道場になっていければ良いな、と思います。
交流組手の後は慣例のお花見。自称「天下の晴れ男」を名乗る私の神通力を頼みに雨の予想をおしての強行。最後はさすがに雨がぱらついて
きましたが、無事に終了に漕ぎ着けました。交流組手の緊張感とその後のお花見は格別だったと思います。普段聞けない話を各先生から聞いたり、
他道場生と稽古の情報交換をしたりと得がたい機会だったと思います。ちょっと気が早いですが、参加人数の増加に伴い年末の忘年交流会や
来年のお花見交流会は、時間や場所を少し考えなくてはいけないかな、等と考えています。まあ、それはともかくとして、三先生、そしてそれぞれ
の道場生の方々、これからもよろしくお付き合い願います、本当にありがとうございました。
2006-04-05
月刊「秘伝」に連載中の内容を変更、組手中心の内容にすることにしました。急に変更することにしたので、担当の編集者には 申し訳ないことになりました(ご迷惑をおかけします)。しかし、どうしても書いておかなくては、という気になったのです。 雑誌にも書きましたが、きっかけはある試合。防具つきで顔面あり、というルール。組手の際の危険防止のために防具をつけたり、 あるいは寸止めにすると言うのは納得できます。武術の稽古をして強くなろう、と言うのに強くなる前に怪我をしてしまっては元も 子もないからです。うち(太気会)でも時にはヘッドギアーをつけたりもする。でも、見ていると安全のための防具があるから、 その防具に頼った組手になっている。防具をつけているから顔を殴られても大丈夫、だから顔面ノーガード。寸止めで顔面の心配が ないからやっぱり顔面ノーガード。その結果見ていると顔面にパンチが入る、入る。いくら防具をつけているからと言って、まあ、 あんなに殴られたら首が壊れる、と他人事ながら心配になってしまいます。当たるのは当たり前で、全員が顔面がら空き。 またルールで顔面なしの組手になると今度は自分に顔があるのを忘れたような様相になってしまう。もちろんこちらも顔面がら空き。 要はルールが決まるとルールに沿った稽古になり、試合になる。それだけのこと、と言ってしまっては元も子もないけれど 、感じたのはそこから見えてくる指導の有様。たぶん武術の指導と言いながら、教えているのは型と打ち方やよけ方の形。型をやって、 正拳突きやいろいろなパターンの稽古をして移動をやって、後の組手はそれぞれのやりたい様にやりなさい、と言う指導なんだろうなと思う。 だけどそれは「武術」を教えてるんではなく、「技術」を教えてるだけだと思う。組手が即実戦的というわけではないけれど、それでも 避けて通れないのは当たり前。だからこそ組手でどんなことに注意して、何をするべきなのかを教えなければ行けないはず。なのにその 一番大事なことを教えていない。あるいは知らない人間が指導している。一番大事なこととは、別にどう打つとかどう受けるなんていう ことではないと思う。そんなことよりもっと基本的なこと。組手でやらなければいけない事とやってはいけない事。それをまずはっきり とした上で組手をやらせないと、いくら痛い思いをしても一向に強くなれない。強くなるのは元々身体能力の高いものだけ、と言うこと になってしまう。連載の最初にも書いておいたけれど、一例を挙げれば、構えのこと。どんな試合を見てもみんなどういう訳か顔面がら空き。 お互いに顔面がら空きで、お互いに顔面を狙っているのだからお互い様と言えばお互い様。みんな痛い思いをしているはずなのにそこに何の 工夫も無いようだ。少しは顔を守る工夫をしたら、と思うんだけど。(まあ、自分の顔が大事じゃない人は良いけれど)では、どうすれば いいかと言えば簡単、手を顔の前に持ってくれば良いだけ。たったそれだけの事で顔面が守れるのにそれすら工夫しない。だからみんな顔面に パンチが入る。当たり前。空いているから入る。空いてなければ入らない。コレも当たり前だと思うんだけど。打つことは出来ても守れない。 守る事が出来ずに打つ稽古ばかりと言うのでは、まるでもぐらたたきと同じ、もぐらたたきの叩き合い。お互いに的をさらしての叩きあいです。 武術と言うものは戦いに勝つための術であるけれど、戦うのは自分を守るためのはず。守る必要がなければ戦う必要もないはず。それなのに その自分を守る、自己保存と言う一番の基本を忘れて、攻める事ばかりやるのは本末転倒もはなはだしいと思うね。それでは自分自身が消耗品に なってしまう。武術は使い捨ての兵士を育てるためのものではないはず。と、まあ、気張っている訳ではないけれど、思った。そこで考えてみたら、 こう来たらこう打つとか言う技術的なことに関してはいろんな本にも書いてあるけれど、実際の組手のやり方、について書いてあるものがない。 経験で覚えなさい、と言うことなのだろう。でも、どうも先に書いた顔面のように、経験しても覚えないようなので、自分の経験と沢井先生に 注意された事を合わせて書いておこうと言うわけです。組手の関していろんな人がいろんなことを言ってますが、なかには本当に無茶なことを 言っているのもあります。あるいは無茶なことが常識になっているのもあります。そういった事を、違うのは違う、ダメはダメと言っていこう と思います。先程武術は戦いに勝つための技術と書いたけれど、組手は技術ではなくて、言って見れば「芸」。人と向かい合っての即興芸とも 言えるかもしれない。そう考えると前述した大会で見たのは「芸」の無い組手ということになる。で、これからの連載は「芸談」と言うことに なるのかもしれません。 この「閑話休題」、ほんとは太気拳や武術と関係ない事をいろいろ書いていこうと思ったのですが、やはり最初はこんな内容になってしまいました。 次からは脱武術で行こうと思っていますが、さて、太気拳しか取り柄がないのに、ほんとに書けるかな、とも思っています。
2006-03-31